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【会員レポート】ぼうさいNURIE(オンライン防災自作のぬりえ活動)・プラ板で避難リュック作り(ワークショップ)

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。

 


 

情報提供者:岡村 智樹(樹実防災株式会社)会員
活動実施日:2023年11月26日
情報提供日:2023年12月20日

 

準備の段階

 

● 実践・実施のきっかけや経緯

Facebookグループで活動しています「オンライン防災」のなかで、今年《ぼうさいNURIE》という企画を発足させ9月1日のプレスリリースを皮切りに各所で展開しています。子供たちに「怖がらせない防災」と、子どもがぬり絵をしながら保護者と一緒に防災のお話を直接するコンセプトで進んでいます。私事、準備期間から取り組みをしています。7月頃から静岡県内(静岡市、藤枝市、富士市、御殿場市)のマルシェやお祭り会場で開催し、通常防災イベントで実施するイメージがある活動を、もっと身近に防災を感じてもらうようにしています。今回の報告は、11月26日に岐阜県安八町で開催した「100人のお産展」の会場で実施した様子の写真を貼ります。
良く聞くのが「防災訓練すら来てくれない!」との話に、何気ない日常空間で防災を感じるきっかけがないのか模索をしています。

● 計画や準備で気をつけたこと

お産の写真展と防災を掛け合わせるのには、私は全く違和感はありませんでした。何故なら昨年度静岡市で実施した「お産の写真展~生きる」を2日間開催し、赤ちゃん目線の防災ミニ講座を実施した結果、多くの反響がありました。その話を聞いた岐阜県の仲間が、私の想いを岐阜県に引き継いだ形になっています。そこに私が今年から展開していますNURIEを入れた感覚でして、ほとんど計画も気を付けることもありませんでした。ゆういつ言えるのは、怖がらせない、自然体で防災の話になるのみです。

 

実践の段階

 

● 実施した内容

① ぼうさいNURIE(オンライン防災自作のぬりえ活動)

② プラ板で避難リュック作り(ワークショップ)

 

● 実践中や、実施後の参加者の反応

各自治体など防災イベントを実施しています。

私たちは、普段、制服に身を包んだ方々と会うと、距離を感じてしまいますが 、来場された3家族が消防隊員のご家族だったことで、いろいろお話が出来て親近感を得ることが出来ました。

消防隊員の方のご家族と一緒にぬりえをしたことが、その家族の防災意識を高める効果があったこと。どう災害に向き合って良いか分からない、奥様がとても喜ぶ姿は、これまで、市民と消防職員との間に感じていた隔たりを壊し良い経験となりました。

継続の段階

 

● 課題に感じたこと

《ぼうさいNURIE》は、NURIE大使という役を設けています。私はその一人なのですが、今まで記載した内容で展開できる人材の育成が課題と感じています。ただぬりえをするのではなく、様々な災害経験を持ちながら、「生きるための防災」を真剣に考えて頂ける方です。こども一人ひとりとその家族と向き合い、学校防災では出来ない「防災教育」になる事を望んでいます。

 

● これからの期待や展望

今年度の「ぼうさいこくたい2023」で大掛かりに仕掛けた結果、今では各種防災講座で会う方にNURIEを見せると10人に1人程度の割合で見たことあるとか聞いたことあるというお返事をいただきます。(先日の内閣府主催避難生活支援研修会場でデーター取り・・・参加者40人中5人が該当)
今年度末にかけて千葉県のららぽーとイベント会場や、愛知県蒲郡市の防災イベント会場で展開します。
現在は、宮城、栃木、東京、神奈川、静岡、愛知、岐阜、京都、広島、愛媛、熊本、沖縄の各都府県で3月の練習から現在まで24回開催しています。もっと多くの地域でそして海外にも展開したいと考えています。

● 実践中の写真

※写真の掲載についてご本人の許可をいただいております。

 

【会員レポート】東日本大震災を体験した子供達の想い・考えを、次世代に伝える教材の実施例(その4) -アンケート結果をふまえて-

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。

 


 

情報提供者:小笠原 潤(岩手県立宮古水産高等学校) 会員
活動実施日:2023年5月~2023年10月
情報提供日:2023年9月28日
連絡先:TEL. 0193-62-5550
    MAIL. ptf60-j-ogasawara(アットマーク)iwate-ed.jp

 

準備の段階

 

● 実践・実施のきっかけや経緯

 東日本大震災発生当時、まだ小さかったり生まれていなかった子供達が高校へ入学してくることが予想され、地域に根ざした防災・減災についてどのようにして伝え、考えてもらうかを工夫していく必要を感じていた。
 一つの方法として、インド洋大津波と東日本大震災に関連する百数十編の小論文を教材とすることで、辛い気持ちを乗り越えて小論文を書いてくれた被災地の生徒達の想いや考えを現在や未来の中学生・高校生に引き継ぎ、新たな行動へ繋げていきたいと考えている。

● 計画や準備で気をつけたこと

 元になる資料(2021年11月22日付けの【会員レポート】参照)は、岩手県沿岸の被災地にある5つの高校(宮古、山田、久慈東、岩泉、宮古北)において、震災当時高校2年生だった生徒から保育園年長だった幼児まで(12学年分)の震災を体験した高校生が、震災時や震災復旧・復興時にどのように想い・考えたかを600字の小論文で記載したものである。それらを6つのテーマ別に30編にまとめることで、被災地の子供達の想いや考えを次世代や体験していない人達に分かりやすく継続して伝えていけるように教材化した。また、昨年度より『短縮版』(実践例も含めて40ページ)を作成し、使いやすいように工夫した。
 今回、昨年度より勤務している宮古水産高校の1年生(震災当時2~3才)を対象に、理科の科目である「科学と人間生活」の中で『インド洋大津波と東日本大震災の比較』というタイトルの授業を3回に分けて実施したうえで、以下のような取り組みを行った。

 

実践の段階

 

● 実施した内容

1) 授業内で実施したアンケート結果について

 1回目の授業を始める前に、次のようなアンケートを実施した。
 『現在のあなたは、「東日本大震災」や「津波」・「防災」というような言葉について、どのような意識をもっていますか。次の中から1つを選び〇をしなさい。
①考えたくない ②あまり考えたくない ③いろいろと考えたい ④関心が無い 』
 その結果を、生徒に配布した『振返りプリント』で以下のように掲載した。

 

▼『振返りプリント』の一例
 ・・・(前略)・・・。
 結果は下のグラフのようになりました。(参考として、山田高校における2016年度の結果と宮古北高校における2020年度の結果も掲載します。)
 宮古水産高校と他の2校(山田高校、宮古北高校)におけるアンケート対象者は、人数や学年構成・震災後の年数・被災状況等々が異なるので単純に比較はできませんが、一見して分かるのは、いずれの高校でも③の『いろいろと考えたい』が一番多いことです(山田高校:約45%、宮古北高校:約53%、宮古水産高校1年生:49%)。しかし、どの高校・どの年代でも「考えたくない」「あまり考えたくない」という人も少なからずいるので、震災によるストレスを感じている人も多いと言えます。宮古水産高校1年生に特徴的な点は「関心が無い」人が多いことでしょうか。これは宮水以外でも年々増えているようで、小さい頃から「震災」「震災」と言われ続けてきて嫌になっている人がいるのかも知れません。

 

2) 『短縮版』の資料の配布

 『短縮版』の中の「セレクト1」(15編×4セット、セレクト1~4の1つ)を夏休み前に配布し、課題として取り組んでもらった。前回(2023年2月24日付けの【会員レポート】参照)と同様に、冊子(目次も含めて7ページ(両面印刷で4枚))にして配布した(PDF版の資料①を参照)。

 15編それぞれについては、内容面から4つの分類を示し、生徒たちが1つの小論文を選びやすいように工夫した。4つの分類とは、『体験』(被災体験と伝承)、『環境』(身近な自然環境を活用した防災・減災)、『支援』(国際支援・国際交流)、『生き方』(これから私ができること)、とした。

 

3) 提出された課題をまとめたものを掲示・配布

 夏休み明けに提出された課題をまとめたものについてカラー版を各教室に掲示し、白黒版を1・2年生全員に配布したPDF版の資料②を参照)。

昨年度、3回の授業を実施した2年生についても、夏休み課題とした。)

 

▼ 実施結果の一例 

令和5年度 理科の夏休み課題(小論文)

 今回、2011年から2021年までの11年間に、5つの高校で収集した小論文の中から15編を選びました。そして、それらの小論文を皆さんに読んでもらった上で、1つの小論文を選んで、以下のA~Cの課題についてあなたの想いや考えを書いてもらいました。

 :あなたの選んだ小論文の筆者は、どういう想いでこの文章を書いたと思いますか? 
 あなたが共感したのはどういう所ですか? 
 :あなたが選んだ小論文を読み、これからあなたができることを述べなさい。

 なお、小論文を1つ選ぶ時の参考として、15編の小論文を内容別に、4つに分類しています。

 『体験』:被災体験と伝承
 『環境』:身近な自然環境を活用した防災・減災
 『支援』:国際支援・国際交流
 『生き方』:これから私ができること

 提出してもらった中から、「そんな想いもあるんだ」や「そういう視点もあるんだ」という内容の代表的な小論文を、皆さんにもお知らせします。(選んだ小論文も添付

 

(1)(令和5年度宮古水産高校1年 Mさん)(震災当時、3才)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」
 筆者は、東日本大震災が起こったことはとても悲しい出来事だけど、自分の思い出の中で生きていてほしいという考えや、自分の手で町の魅力を伝えたいという考えなど、自分自身ができる気持ちや行動が大切だという想い。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」
 私が共感したのは、「たとえ亡くなっていたとしても、私の思い出の中で生きていてほしい」という所です。この文章は、生きている人全員に言える言葉だと思ったし、自分もその気持ちを大切にしないといけないと思ったから。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」
 小論文を読み、共感した部分でもある『自分の思い出の中でずっと生きてほしい』から、亡くなった人のことを思い出すことが、これから私ができることの1つである。
 また、自分の命を自分で守ることができるための訓練などを積極的に行ったり、防災リュック等を準備する必要があると思う。自分の命を守れなければ、人の命を守ることはできないと思うので、できることは何でもしたい。そして、1人でも多くの命に助かってほしい。
 これから先、何が起こるか分からないけど、親からもらった命に感謝して、一日一日後悔のないように自分らしさを忘れずに生きてゆきたい。

選んだ小論文(震災当時、小1)『東日本大震災から十年目の今、私ができること』 体験・生き方

 東日本大震災から10年が経とうとしています。私は小学生の時、未来の田老を題材にした劇をしました。中学生の時は、「田老を語る会」をしました。「田老を語る会」では、被害状況や当時の様子・教訓などを、津波を経験したことのない人に伝えました。私ができることは、考えて、伝えていくことです。「田老を語る会」は、現在の中学生も行っています。私はそれをこれからも続けていってほしいと思います。
 私は震災で家族を2人亡くしました。当時まだ小学校1年生だった私は、そのことがよく理解できずにいました。ずっと2人の帰りを待っていました。そのことを思い出して泣くことが時々あります。亡くなった人のことを思い出すことも私にできることの1つです。たとえ亡くなっていたとしても、私の思い出の中で生きていてほしいと思うのです。
 私は絵を描くことが好きです。昔から絵で好きなものを表現することが好きでした。私はいつか、もっと絵を描く技術を上げて綺麗な田老の海を描きたいと思っています。現在の田老はお店は建ってきましたが、まだ人が少ないと思います。田老の魅力を知り、それをたくさんの人に広めてほしいと思います。私も自分の絵で田老の魅力を伝えられるように、田老の事をより好きになりたいです。

 

● 実践中や、実施後の参加者の反応

 理科の科目である「科学と人間生活」の中で『インド洋大津波と東日本大震災の比較』というタイトルの授業を3回に分けて実施したことで、震災当時2~3才だった生徒達の震災記憶の呼び覚ましと震災に関する新たな視点を提供することができた。また、授業に関する『振返りプリント』(全21枚)のカラー版を教室に掲示し、白黒版を生徒に配布することにより、震災被害の事実やさまざまな防災・減災の手法等を再確認してもらうことができた。
 さらに、教材化した『短縮版』の資料を元に、自分達と同年代の頃の地域の先輩達が大人とは違う視点から感じた想いや考えを知ることにより、自らの体験や学んだ知識と合わせ、自らの想いや考えを発展させることができた。

継続の段階

 

● 課題に感じたこと

 上記『実施した内容』について、対象者である宮古水産高校の1年生は、震災当時保育園・幼稚園入園前(2~3才)であったので、震災の記憶はほとんどないと考えられる。その後の復旧・復興時の体験や小中学校での学びがあったとは思うが、『▼振返りプリント』の一例を見て分かるように、震災記憶の風化は年月の経過と共に避けられないことであるのかも知れない。

● これからの期待や展望

 1回目の授業実施前(下左のグラフ)と『インド洋大津波と東日本大震災の比較』に関する3回の授業実施後(下右のグラフ)を比較すると、「③いろいろと考えたい」の比率が増加し、「④関心が無い・無回答」の比率が減少している。

 震災記憶の風化は、前述のように大きな課題である。しかしながら、震災被害の事実を知り、さまざまな防災・減災の手法を知り、さらに震災を体験した高校生たちの想いや考えを知ることで、震災記憶を継続していくことが可能であると思われる。
 今後、教材化した資料を各地の中学・高校の「総合的な学習(探究)の時間」やNPOのワークショップ等でより多くの人に活用してもらうことにより、南海トラフ大地震をはじめとする自然災害が想定されている地域だけではなく、想定されていない地域も含めたさまざまな地域における防災・減災教育や復興教育等に寄与していきたいと考えている。 

 

 

● 実践中の写真

           

【会員レポート】東日本大震災を体験した子供達の想い・考えを、次世代に伝える教材の実施例(その3) -『短縮版』の活用-

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情報提供者:小笠原 潤(岩手県立宮古水産高等学校) 会員
活動実施日:2022年12月~2023年1月
情報提供日:2023年2月15日
連絡先:TEL. 0193-62-5550
    MAIL. ptf60-j-ogasawara(アットマーク)iwate-ed.jp

 

準備の段階

 

● 実践・実施のきっかけや経緯

 東日本大震災発生当時、まだ小さかったり生まれていなかった子供達が高校へ入学してくことが予想され、地域に根ざした防災・減災についてどのようにして伝え、考えてもらうかを工夫していく必要を感じていた。
 一つの方法として、インド洋大津波と東日本大震災に関連する百数十編の小論文を教材とすることで、辛い気持ちを乗り越えて小論文を書いてくれた被災地の生徒達の想いや考えを現在や未来の中学生・高校生に引き継ぎ、新たな行動へ繋げていきたいと考えている。

● 計画や準備で気をつけたこと

 元になる資料(2021年11月22日付けの【会員レポート】参照)は、岩手県沿岸の被災地にある5つの高校(宮古、山田、久慈東、岩泉、宮古北)において、震災当時高校2年生だった生徒から保育園年長だった幼児まで(12学年分)の震災を体験した高校生が、震災時や震災復旧・復興時にどのように想い・考えたかを600字の小論文で記載したものである。それらを6つのテーマ別に30編にまとめることで、被災地の子供達の想いや考えを次世代や体験していない人達に分かりやすく継続して伝えていけるように教材化した。
 今回、上記資料は情報量が多すぎる(120ページ)ため使いにくいところがあったので、『短縮版』(実践例も含めて40ページ)を作成し、現在勤務している宮古水産高校の1・2年生に理科の冬休み課題として取り組んでもらった。

 

実践の段階

 

● 実施した内容

1) 『短縮版』の資料の配布

 前回までは6つのテーマのうちから1つのテーマを選び、小論文30編を生徒に配布していたが、今回は半分の15編(目次も含めて7ページ(両面印刷で4枚))にして配布した。また、15編それぞれについて内容面から4つの分類を示し、生徒たちが1つの小論文を選びやすいように工夫した。
 4つの分類とは、『体験』(被災体験と伝承)、『環境』(身近な自然環境を活用した防災・減災)、『支援』(国際支援・国際交流)、『生き方』(これから私ができること)、とした(PDF版の資料を参照)。
 なお、今回使用した15編の他に、15編×3セット、合わせて4セット(全て内容が異なる計60編)の資料を準備し、在学中に少なくても4回、長期休業中の課題として活用できるようにした。

2)提出された課題をまとめたものを掲示・配布

 冬休み明けに提出された課題をまとめたものについてカラー版を各教室に掲示し、白黒版を1・2年生全員に配布した(PDF版の資料を参照)。

 

▼ 実施結果の一例 

令和4年度 理科の夏休み課題(小論文)

 今回、2011年から2021年までの11年間に、4つの高校で収集した小論文の中から15編を選びました。そして、それらの小論文を皆さんに読んでもらった上で、1つの小論文を選んで、以下のA~Cの課題についてあなたの想いや考えを書いてもらいました。

 :あなたの選んだ小論文の筆者は、どういう想いでこの文章を書いたと思いますか? 
 あなたが共感したのはどういう所ですか? 
 :あなたが選んだ小論文を読み、これからあなたができることを述べなさい。

 なお、小論文を1つ選ぶ時の参考として、15編の小論文を内容別に、4つに分類しています。

 『体験』:被災体験と伝承
 『環境』:身近な自然環境を活用した防災・減災
 『支援』:国際支援・国際交流
 『生き方』:これから私ができること

 提出してもらった中から、「そんな想いもあるんだ」や「そういう視点もあるんだ」という内容の代表的な小論文を、皆さんにもお知らせします。(選んだ小論文も添付

 

(1)(令和4年度宮古水産高校2年 Aさん)(震災当時、保育園年中)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」
 今後、いつ災害が起きても大丈夫なように、自分の経験した事を伝えていくことが大切だという想いで、筆者はこの文章を書いたと思います。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」
 私も重茂出身で、とてもこの文章に共感しました。震災前から小学生がやっていた劇の「かがやく海の重茂に」をやっていたから犠牲者が少なくて済んだんじゃないかというのは、私も共感できました。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」
 私も震災を5歳の頃に経験したことがあります。その時は、何も分からない状態だったし、どうすれば良いか分からなくてとても怖い思いをした覚えがあります。その当時の私でも震災はすごく恐ろしいものだと分かるくらい怖かったです。
 あの時は、たくさんの支援に助けられたのを覚えています。多くの地域のたくさんの方から支援物資などを貰い、すごく嬉しかったのを今でも覚えています。私の住んでいる町は海がとても近くにあり、漁師がたくさんいる町で、震災の時はみんなで助け合って乗り越えました。私も誰かの役に立てるような人材になっていきたいと思います。

 

選んだ小論文(震災当時、中2)『3.11から四年目の今、私ができること』    体験・生き方

 私は、非常に海が近い小さな集落に住んでいました。しかし、東日本大震災によってこの集落は全滅してしまい、現在も仮設住宅で生活しています。震災後、その集落は災害危険区域に指定され、家を建ててはいけないことになっています。再び同じような被害を受けないための対策の一つです。この地域は、明治三陸大津波や昭和三陸大津波でも多くの被害を受けました。このことを後世に伝えるために先人は、津波到達地点を示した石碑と、二度と多くの犠牲者をださないように「此処より下に家を建てるな」と書かれた石碑を後世に残してくれました。この石碑については、これからも伝える必要があると思います。また、小学校で1年おきに行われる、昭和三陸大津波をテーマとし、当時の様子を台本にした全校表現劇「かがやく海の重茂に」もずっと伝えていくべきだと思います。私たちは、この劇のおかげで早いうちから過去にどのようなことがあったのか分かり、津波の恐ろしさを理解することができました。犠牲者が少なかったのは、これが理由であるかもしれません。
 私は先人がしてきたように、後世へ自分が体験したこと全てを伝えていきたいと思います。二度と犠牲者を出さないために。震災後に建てられた石碑にはこのように記されています。
 『後世への訓戒 大地震の後には津波が来る とにかく高い所に逃げろ 住宅は津浪浸水線より高い所に建てろ 命はてんでんこ』

 

● 実践中や、実施後の参加者の反応

 東日本大震災に対して、自分達と同年代の頃の先輩達が、大人とは違う視点から感じた想いや考えを知ることで、自らの体験や学んだ知識と合わせ、自らの想いや考えを発展させることができたと思われる。

継続の段階

 

● 課題に感じたこと

 上記『実施した内容』について、対象者である宮古水産高校の生徒達は、震災当時保育園年中・年少であったので、幼いながらも震災の記憶や、その後の復旧・復興時の体験や小中学校での学びがあったと思われる。そのため、地元の身近な先輩達の想いや考えに共感する点が非常に多かったと考えられる。それは、被災地の子供達の想いや考えを、被災地の次世代の子供達につないでいくという面で非常に効果的であるが、反面、他の地域の子供達に伝わるかどうか一抹の不安を感じている。
 しかしながら、中学・高校という多感な時期の子供達はもちろん、多くの人が共感力や想像力を持っていることも疑いのないことなので、この教材が防災・減災教育や復興教育に役立つことを信じたい。

● これからの期待や展望

 今回使用した『短縮版(セレクト4)』は、内容的にも分量的にも生徒達にとって適切であったと思われる。また、東日本大震災について触れられたくないと考えている生徒もいるので、そういう生徒にとっては震災と直接関係がない『支援』や『環境』に関する小論文を選ぶことができた点も良かったと思われる。
 今後、教材化した資料を各地の中学・高校の「総合的な学習(探究)の時間」やNPOのワークショップ等でより多くの人に活用してもらうことにより、南海トラフ大地震をはじめとする自然災害が想定されている地域だけではなく、想定されていない地域も含めたさまざまな地域における防災・減災教育や復興教育等に寄与していきたいと考えている。

● 実践中の写真

           

【会員レポート】 インド洋大津波と東日本大震災の比較① 『国際支援・異文化理解』

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。

 


 

情報提供者:小笠原 潤(岩手県立宮古水産高等学校) 会員
活動実施日:2022年6月~9月
情報提供日:2022年9月8日
連絡先:TEL. 0193-62-5550
    MAIL. ptf60-j-ogasawara(アットマーク)iwate-ed.jp

 

準備の段階

 

● 実践・実施のきっかけや経緯

 東日本大震災発生当時、まだ小さかったり生まれていなかった子供達が高校へ入学してくるようになる事が予想され、地域に根ざした防災・減災についてどのようにして伝え、考えてもらうかを工夫していく必要を感じていた。
 一つの方法として、『インド洋大津波と東日本大震災の比較』に関する授業を実施したうえで、東日本大震災が発生した2011年から2021年の11年間に収集した「防災・減災」や「国際支援と復興教育」「環境問題と防災教育」等に関連する162編の小論文を教材とすることで、その想いや考えを現在や未来の高校生に引き継ぎ、新たな行動へ繋げていきたいと考えている。

● 計画や準備で気をつけたこと

 元になる資料(2021年11月22日付けの【会員レポート】参照)は、岩手県沿岸の被災地にある5つの高校(宮古、山田、久慈東、岩泉、宮古北)において、震災当時高校2年生だった生徒から保育園年長だった幼児まで(12学年分)の震災を体験した高校生が、震災時や震災復旧・復興時にどのように想い・考えたかを600字の小論文で記載したもので、全162編ある。それらを6つのテーマ別に30~36編にまとめることで、被災地の子供達の想いや考えを次世代や体験していない人達に分かりやすく継続して伝えていけるように教材化した。

 

実践の段階

 

 ● 実施した内容

1) 授業の実施

今年4月から勤務する宮古水産高校において、理科の授業(『科学と人間生活』、『生物基礎』) の中で1・2年生全員を対象に『インド洋大津波と東日本大震災の比較 ~思いやりの心と笑顔の地‐アチェ~ 』という題名でスライド写真や動画を見てもらい、インドネシア・アチェ州の人々の生活や文化・自然、そして日本人にはなじみのないイスラム教等々を紹介したうえで、2004年のインド洋大津波による被災状況や復興の現状・未来に向けての活動等を紹介した。授業の中では情報提供を集中的に行うが、生徒たちが受け身だけで終わらないよう、授業内容に関する 「確認プリント」を配布して記入させながら授業を進めた。なお、東日本大震災に関連した内容の際には、生徒達の精神的な負担にならないように配慮して実施している。

2)プリント学習(2022年7月に宮古水産高校で実施した内容を添付)
 授業の内容について振り返って再度確認できるように、授業内容に加えて授業で使用した「確認プリント」の答や生徒達の感想・意見、アンケート結果などを組み入れたプリントを作成した。生徒達への提示方法は、写真を掲載することが多いのでカラー印刷のプリントをラミネート加工したうえで各クラスに掲示し、加えて白黒版のプリントを各生徒に配布した。

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▼実施結果の一例 

「確認プリント」の(18)~(19)の解答です。
(18)アチェのほとんどの地域では、『地震の後に( 津波 )が来る』という伝承や( 教育 )がほとんどなかったため、約16万人の方々が亡くなった。
(19)アチェの人々の心の拠り所はイスラム教であり、( 思いやり )の心や( 笑顔 )も、そこから発していると考えられる。

『ノアの箱船』をはじめ、『津波博物館』や『津波の浸水高を示す塔』などアチェの人々が震災の記録を残そうとしていることをいろいろな場面で強く感じました。その理由として考えられることがあります。

魚を持って逃げる人の絵(津波博物館)

右に、津波博物館に展示されていた1枚の絵を大きく掲載しました。絵の中央下の人が持っている白いものや、右側の海底だった所に見える白いものは魚です。実は、アチェのほとんどの地域では、約100年前にも大津波があったにも関わらず『地震の後に、津波が来る』という伝承や教育がほとんど無かったそうで、津波が来る前兆として潮が大きく引き、魚が跳ねているのを捕まえにいった人々も多くいたようです。そのため、東日本大震災と同じ位の規模の津波により約16万人の方々が亡くなりました。その悔やんでも悔やみきれない反省を踏まえて、震災の記録を残すことに全力を傾けているように感じました

3)教材化した小論文の配布(教材資料を添付)

6つのテーマのうち、前々回(2022年1月21日付けの【会員レポート】参照)は『セレクト4(人間と自然との共生)改訂版』について、前回(2022年5月18日付けの【会員レポート】参照)は『セレクト6(東日本大震災を後世に伝える方法)改訂版』について実施したが、今回は宮古水産高校の1・2年生に対し、「理科の夏休み課題」として『セレクト5(国際支援・異文化理解)』(30編)を配布した。

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▼実施結果の一例

02)平成23年度宮高3年 Sさん(震災当時、宮高2年) 『私が考える(できる)国際協力や支援活動』

 私が考える国際協力とは、ただ物資を送るということではないと思う。お互いがお互いを助けたいという気持ちを持つことこそが国際協力なのではないかと考える。
 今、世界では紛争が起きていたり、飢餓で苦しむ人がいたりとたくさんの問題を抱えている。そして、3月11日に東日本大震災が起き、支援が必要な人が大勢いる。大震災を経験し、人の命の尊さ、今までの自分の生活がどれだけ贅沢だったかなど様々なことを考えさせられた。中でも強く思ったことは、協力し合うことの大切さだ。避難所にボランティアに行ったおり、外国のボランティア団体も多く見かけた。その中の1人がおばあさんの肩をもみ「僕らがいるよ」と片言で話しかけていた。そしておばあさんが「力になりたいって思ってくれることが一番うれしいよ」と言っていた。私はその通りだと思った。確かに、物資の支援がとても大切で、物資がないと生きていけない人もたくさんいると思う。でも、力になりたい、助けたいと思うことが支援される側も一番嬉しいと思うし、その気持ちが一番大切なことだと思う。力になりたいと思う気持ちから国際協力は始まっていくので、その気持ちを持つことが大切だ。
 世界には、まだまだ知らない問題があると思う。私は問題を知り、理解することから支援につなげていきたいと思った。

08)平成25年度宮高1年 Sさん(震災当時、豊間根中1年)『3.11から三年目の今、私ができること』

 現在、私達がすべき復興への手助けは、一番はまず「伝える」ことだと思う。アチェの地にある『津波博物館』や、『ノアの方舟』で助かったガヤさんの語り部としての活動のように、後世に残せる形で伝えていかなくてはならないと思う。私は中学3年生の時、近い将来に大地震や大津波が来ると言われている和歌山県に、被災地の学校の代表の一人として講話をしに行ったことがあるが、やはり私達が身をもって痛感した悲しみや辛さ、震災への備え方は、できるだけ広める必要があると思う。二番目は、「切り換える」ことだと思う。アチェの人々は、大災害を神様の恵みとして受け止め、プラス思考で前に進んでいる。「日常への感謝」や「たくさんの人との出会い」は、あの大災害があったからこそ在るのである。命や大切なものもたくさん奪われたが、得たものも少なくはない。そして、三番目、「返す」ことにつなげることが必要なのだ。「今までの分」「これからの分」、私達が大災害を経験し、学んだこと、活かせたこと、失敗したことなど、全てを他の人の役に立つように使い、恩を返すのだ。
 資料を読んで、文化は違っても「思いやり」や「助け合い」の精神は、どこにでも同じく存在していることを知った。文化や国境を越えた思いやりや助け合いの輪は、無限に広がると思う。そしてそれは今、私達がやらなくてはいけないし、私達が広げていくべきだと考える。

 

4)代表的な想い・考えを生徒に提示(実施結果を添付)

3)で配布した30編から生徒達それぞれが選んだ1編について、生徒達が書いた「筆者の想い」や「共感した所」「今の自分ができること」をプリントにまとめた。それらを読むことにより地元の先輩達の想いや考えを引き継ぎ、さらに自分の想いや考えを深め発展させることができた。

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▼実施結果の一例

令和4年度 理科の夏休み課題(小論文) 

 今回、1・2年生理科の夏休み課題として小論文を提出してもらいました。内容は、東日本大震災が発生した2011年から2021年まで、被災地域にある4つの高校(宮古高校、山田高校、岩泉高校、宮古北高校)において生徒の皆さんに書いてもらった『国際支援・異文化理解』に関する小論文の一部をまとめたもの(30編)の中から1つを選び、以下のA~Cについて書いてもらいました。

:あなたの選んだ小論文の筆者は、どういう想いでこの文章を書いたと思いますか? あなたの考えを80字以上~100字以内で述べなさい。

あなたが共感したのはどういう所ですか? 80字以上~100字以内で述べなさい。  

:あなたが選んだ小論文を読み、これからあなたができることを、260字以上~300字以内で述べなさい。

 提出してもらった中から、「そんな想いもあるんだ」や「そういう視点もあるんだ」という内容の代表的な小論文を、皆さんにもお知らせしたいと思います。(選んだ小論文も添付)

(1)(令和4年度宮古水産高校1年 Aさん)(震災当時、保育園年少)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」

 母親を亡くし前に進めない状況だったけど、周りの人が支えてくれたおかげで元気を取り戻し立ち直れたので、支えてくれた人達に感謝している気持ちと、いろいろな人に支えられた分、次は自分が恩返しをしようという気持ち。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」

 大切なものをなくす辛さを共感できた。その中で周りの支えがあるとすごく救われると思ったので、誰かが辛いときに助け、人の支えになれるような人間に自分もなりたいと思った。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」

 私はこの小論文を読んで、辛い時に少しでも誰かの支えがあるとすごく救われるんだということが分かった。これからは誰かが辛い時や困っている時に、自分が支え助けてあげられるような人になりたいと思う。また、誰かに助けられたら、そのことを絶対に忘れないで、してもらったことを次は自分が返してあげられる人になりたい。そのためには、多くの人と接し、交流関係を持っていた方が助けてあげやすいと考えたので、日頃から地域の活動に積極的に参加し、年齢を問わずたくさんの人と接したいと思う。そして、この小論文の筆者のようにいつ大切な人を失うか分からないので、家族や友人のことをさらに大切にしようと思う。

選んだ小論文(震災当時、山田南小6年) 『3.11から5年を経た今、私ができること』

 震災当時、私はまだ幼かった。町では煙があちこちから立ちのぼり、店や家などは跡形もなく崩れ、本来の山田町の姿ではなくなっていた。また、私はこの震災で母を亡くし、前に進むこともできないままとなった。そんな時、私を支え、励ましてくれたのが、家族、友人、他の県の方々、そして外国からの支援だ。
 たくさんの方々から支援され、その中で一番心に残っているものは、手紙だ。手紙には励ましの言葉などが書かれており、そのおかげで辛く苦しい日々を乗り越えることができた。また、地域の方々ともお互いに支え合いながら過ごすこともできた。
 震災から五年が経ち、私は今、高校3年生となった。この五年間は、長いようで短い日々でもあった。そして、私がこの五年間で一番学んだことがある。それは、人の大切さだ。私は、もともと人見知りで、人となかなか接することができなかった。しかし、多くの方々に支えられていると気づき、そこから私も恩返しのために多くの方々を助けたいと思い、一年生から三年生まで、町で行われているボランティア活動に積極的に参加した。ボランティア活動に参加したことによって、子供からお年寄りまで幅広い年代の方と接することができ、人と接することが好きになった。
 元の山田町に戻ることはまだ時間がかかるけど、復興することを信じ、人のために生きていきたいと思う。

 

● 実践中や、実施後の参加者の反応

 東日本大震災について、ほとんどの生徒たちが当事者であり強い関心を示す者が多いが、反面、触れたくないと考えている生徒も見受けられる。そのような生徒たちも含め被災地の高校に通学する子供達に、インド洋大津波で同じような体験をしたインドネシア・アチェ州の人々の生活・文化や豊かな自然環境などを伝え身近に感じてもらったうえで、自然災害への対応や国際支援の重要性を紹介することにより、自ら考え・行動していこうとする一つのきっかけになっていると思われる。
 また、自分達と同年代の頃の先輩達が書き残してくれた小論文を読み、その想いや考えを引き継ぎ、自分は何ができるかを考えることで、地域に根ざした防災・減災を繋いでいくことができたと思われる。

 

継続の段階

 

● 課題に感じたこと

 上記『実施した内容』について、対象者である宮古水産高校の生徒達は、震災当時保育園年中・年少であったので、幼いながらも震災の記憶や、その後の復旧・復興時の体験や小中学校での学びがあったと思われる。そのため、地元の身近な先輩達の想いや考えに共感する点が非常に多かったと考えられる。それは、被災地の子供達の想いや考えを、被災地の次世代の子供達につないでいくという面で非常に効果的であるが、反面、他の地域の子供達に伝わるかどうか一抹の不安を感じている。
 しかしながら、中学・高校という多感な時期の子供達はもちろん、多くの人が共感力や想像力を持っていることも疑いのないことなので、この教材が防災・減災教育や復興教育に役立つことを信じたい。

 

● これからの期待や展望

 今後、『身近な自然環境を活用した防災・減災』というタイトルで、「マングローブの役割」と「日本の防災林」について授業を行う予定である。授業実施後、今回と同様に「プリント学習」や「教材化した資料の配布」「代表的な想い・考えを生徒に提示」することで、環境教育(人間と自然との共生について)や国際理解教育(国際支援・異文化理解)、そして防災・減災教育を実施していきたいと考えている。
 また、各地の中学・高校の「総合的な学習(探究)の時間」やNPOのワークショップ等でより多くの人に資料を活用してもらうことにより、南海トラフ大地震をはじめとする自然災害が想定されている地域だけではなく、想定されていない地域も含めたさまざまな地域における防災・減災教育や復興教育等に寄与していきたいと考えている。 

● 実践中の写真(ご提供いただける場合のみ、1~2枚貼り付けてください)

           

【会員レポート】災害時の車での避難

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。


情報提供者:幾島浩恵
活動実施日:2022年5月28日~29日
情報提供日:2022年8月4日
連絡先:TEL. 0739-47-0135
Email. .hiroe.ikushima@gmail.com

準備の段階

● 実践・実施のきっかけや経緯

「災害時に車での避難は危険」と言われています。しかし、車でなければ逃げられない人はどうすれば良いのでしょうか?熊本地震では、多くの被災者が車中で避難生活を過ごしました。そして、エコノミークラス症候群などで命を落とされた方もいらっしゃいます。コロナ禍では「分散避難」のひとつに「車中泊避難」もあげられるようになりましたが、「どんな時はダメ」なのか、「やむをえず車中泊」の時には何に気を付けるべきか、逆に「車中泊を選択しても良い時」はいつなのか、災害の種類やタイミングに分けて考えていくことが必要だと思います。また何が必要なのか、普段から心がけておくことについても知り、みんなで共有していきたいです。

● 計画や準備で気をつけたこと

私自身は車の免許を取得した10代後半から車中泊をしていました。キャンプより準備物が少なく、どこででも寝られる気軽な宿泊だと考えていました。しかし「災害時を想定した車中泊」を行うのであれば、「車中泊」のリスクを参加者にも伝え、みんなで一緒に、より安全&快適な車中泊が行えるようにしていかなければならないと思います。

また、コロナ感染が広がっている時は、公衆トイレは使用後に手や身体の触れた場所をそれぞれで消毒すること、もしくは、各自で準備した携帯トイレを、車中もしくは車外で(目隠しの準備もして)行うこと、野外でも家族単位で行動し、ラインで仲間と情報共有することで感染の危険を回避しました。

遠方の方もラインを使って自宅駐車場から参加してもらうことも出来ています。

実践の段階

  • 実施した内容 5月28日(土)~29日(日)

防災VAN泊in上富田⑩」(災害時を想定した車中泊訓練)の実施
 上富田スポーツセンター現地参加5名、自宅駐車場車内からのライン参加7名+お子さん、見学者の計 14名参加。「被災状況」は、それぞれで決める。「台所にあったものを組み合わせて簡易コンロを作り、調理する」「災害時に持ちだすつもりで準備しているグッズを持ちだすことが出来ず、今車中に在るものだけで車中泊をする」「黒いゴミ袋にレトルト食材やペットボトルの水を入れて太陽光で温め、α米の調理をする」「大人数の車中泊は体勢が苦しいため、夜露を避けながら車外で野宿をしてみる」など。

今までには、「車中でトイレを何とかする」「車外でトイレを何とかする」「オムツをつかってみる」「身近にあるものを使ってプライバシーを守る」「ファイアースターターで火おこしして調理」「鉄製灰皿で調理」「キャンドルで調理」「空き缶コンロで調理」「カップ麺を水で作る(美味しい)」「ポップアップテント内でペットボトルシャワーを使ってみる」「ペットボトルとキャンドルで作ったランタン」「親子や夫婦で参加」「ペット同行車中泊」「手作りのタープ、カーテン、網戸、寝袋を使う」「パスタを茹でずにミートソースの中に入れて食べる(不味い)」「バターやサラダ油のキャンドルランタンで明かりをつくる」「ポータブルバッテリーを使う」「市販の便利グッズ、自作の便利グッズのお披露目会」など。

  • 実践中や、実施後の参加者の反応

3月に上富田消防分署のご協力で実施した「車両破壊女子軍団」(車両からの救出&脱出訓練)では、コロナ禍の為、10数名の車両破壊希望女子が残念ながら参加できず、私と撮影者として息子の2名で体験させていただきました。「シートベルトカッターでシートベルトを切る」「ヘッドレストでサイドガラスを割る」「ハンマータイプガラスクラッシャーでリアガラスを割る」「発煙筒を焚く」「バールでドアをこじ開ける(不可能)」「車載のジャッキを使って車を持ち上げる」など、やってみて分かる「意外に難しいこと」を車中泊参加者のトラックの側面をスクリーンにして動画で見てもらいました。より多くの人に体験や見学をさせてほしいと思います。

車中泊で一番困るのが、トイレです。断水で公衆トイレがつかえなかったり、ペーパーが無かったり、豪雨で外に出る事すら困難な場合、車中や、車外で目隠しして排泄する方法をそれぞれの車でできるやり方を考えてきました。市販の携帯トイレだけでなく、段ボール、ゴミ袋、尿取りパッド、ペット用トイレシート、牛乳パック、ペットボトルなどを工夫して簡易トイレを作り、ほぼ公衆トイレを使うことなく過ごすことが出来るようになってきています。

ペット同行避難のお二方は、1人は2回目、1人は初めて。初回時にペット(犬)がストレスで嘔吐して大変だったため、再チャレンジしてくれました。自宅駐車場からのライン参加で犬が近所の生活音に反応して吠える為、近所への配慮も必要との事。車中ではペット用のオムツを使うことも選択肢のひとつかもしれません。避難所に同行避難する場合はケージに入れ、過ごす場所も離れ離れとなりますが、車中であれば室内犬と一緒に寝ることもでき、飼い主、ペット双方の心の安心が保たれると思いました。

「今ここで大地震が起こったら、具体的にどうするか」と言うテーマで現地参加者と、話し合いました。県外からの参加者が2名いたので、自宅に帰ることが出来なくなると考えられ、近い避難所の場所の確認や家族と連絡を取る方法、そして、普段から今回のように遠方の人とも何らかの交流があれば、安心につながると思いました。

現地では、実際に災害の支援に関わられている方から、リアルな災害現場のお話を伺いました。

地面にマットを敷いて、車の後部から車体の下のスキマに頭を突っ込み(夜露よけ)身体はシュラフで寝られるかどうか試しましたが、自分の車(セレナ)では、決して高くはない私の鼻のアタマが擦れてしまうので無理でした。車高が高めの他の車種ならば、可能かもしれません。夏場は虫よけが必須です。

継続の段階

  • 課題に感じたこと

特にありません。コロナ禍でも、野外での活動ですし、緊急事態宣言の頃は、それぞれの車中でラインを使いながらやりとりしていたので密になることなく、遠方からの参加もできる方法です。しかし自宅駐車場からの参加者は近所への配慮が必要です。単身での参加が多いのですが、親子、夫婦、ペット同行避難もどんどん体験して欲しいと思います。コロナが落ち着けば友達と1台の車での車中泊もやりたいと思います。

寒さよりも暑さの方が車中泊には堪えると思います。虫よけや冷却グッズを試したり、標高の高い(涼しい)避難できそうな場所を知っておくことも必要かと思いました。

  • これからの期待や展望

団体として実践を始めて、1年3か月で10回実施しました。最近は県外からの参加者も増えてきました。

自分の車について、もっと知ってほしいです。車種、家族構成、住む地域や気候の違いで、安全&快適に過ごすための必要物品や注意事項は異なります。

原則は「エンジンを切って車中泊」ですが、真冬、真夏にその方法ではかえって危険ということもあるかもしれません。「エアコンを使用しながらの車中泊」について、リスク(一酸化炭素中毒、車両火災、バッテリーあがりなど)と回避方法(駐車場所、ジャンプスターター・ブースターケーブルの使い方、バッテリーのチェックなど)を知り、どのくらいのガソリンを消費するのかを知っておくこと&常にガソリンを半分以上キープしておくことも必要だと思います。

更に、車から脱出、救助するために必要な物を知り、使い方を見につける体験を地元の消防のご協力のもと、更に進めていきたいと思っています。

【会員レポート】 東日本大震災を体験した子供達の想い・考えを、次世代に伝える教材の実施例(その2)-『東日本大震災を後世に伝える方法』-

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。

  


  

情報提供者:小笠原 潤(岩手県立宮古水産高等学校) 会員
活動実施日:2022年3月~4月
情報提供日:2022年5月10日

連絡先:TEL. 0193-62-5550

 

準備の段階

  

● 実践・実施のきっかけや経緯

東日本大震災発生当時、まだ小さかったり生まれていなかった子供達が高校へ入学してくるようになる事が予想され、地域に根ざした防災・減災についてどのようにして伝え、考えてもらうかを工夫していく必要を感じていた。一つの方法として、インド洋大津波と東日本大震災に関連する162編の小論文を教材とすることで、その想いや考えを現在や未来の高校生に引き継ぎ、新たな行動へ繋げていきたいと考えている。

● 計画や準備で気をつけたこと

元になる資料(2021年11月22日付けの【会員レポート】参照)は、岩手県沿岸の被災地にある5つの高校(宮古、山田、久慈東、岩泉、宮古北)において、震災当時高校2年生だった生徒から保育園年長だった幼児まで(12学年分)の震災を体験した高校生が、震災時や震災復旧・復興時にどのように想い・考えたかを600字の小論文で記載したもので、全162編ある。それらを6つのテーマ別に30~36編にまとめることで、被災地の子供達の想いや考えを次世代や体験していない人達に分かりやすく継続して伝えていけるように教材化した。

 

実践の段階

  

● 実施した内容

前回(2022年1月21日付けの【会員レポート】参照)、6つのテーマのうちの『セレクト4(人間と自然との共生)』について実施したが、今回は『セレクト6(東日本大震災を後世に伝える方法)改訂版』について、宮古北高校の1・2年生(令和4年度2・3年生)に対し、「理科の春休み課題」として実施した。(教材資料、および実施結果をまとめたもの(12名分)を添付)

● 実践中や、実施後の参加者の反応

東日本大震災に対して、自分達と同年代の頃の先輩達が、大人とは違う視点から感じた想いや考えを知ることで、自らの体験や学んだ知識と合わせ、自らの想いや考えを発展させることができたと思われる。

▼ 実践結果の一例

令和3年度 理科の春休み課題(小論文)

今回、1・2年生(令和4年度2・3年生)理科の春休み課題として小論文を提出してもらいました。内容は、東日本大震災が発生した2011年から2021年まで、被災地域にある4つの高校(宮古高校、山田高校、岩泉高校、宮古北高校)において生徒の皆さんに書いてもらった『東日本大震災を後世に伝える方法』に関する小論文の一部をまとめたもの(30編)の中から1つを選び、以下のA~Cについて書いてもらいました。

:あなたの選んだ小論文の筆者は、どういう想いでこの文章を書いたと思いますか? あなたの考えを80字以上~100字以内で述べなさい。

あなたが共感したのはどういう所ですか? 80字以上~100字以内で述べなさい。

:あなたが選んだ小論文を読み、これからあなたができることを、260字以上~300字以内で述べなさい。

提出してもらった中から、「そんな想いもあるんだ」や「そういう視点もあるんだ」という内容の代表的な小論文を、皆さんにもお知らせしたいと思います。(選んだ小論文も添付

  

(1)(令和4年度宮古北高校2年 Hさん)(震災当時、保育園年中)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」

恐ろしかった震災のことを、ただ忘れてゆくだけにせずにきちんと思い出し、どうすればよいのかにきちんと向き合い考えることが、前に進むためにも悲劇を繰り返さないためにも大切である、という想い。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」

震災で家族を亡くした人々もいる中、思い出し向き合うというのは容易ではないけれど、向き合わなければ何も変わらない、向き合わなければいけない、という文章に強く共感させられた。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」

日本が災害大国である以上、いつ東日本大震災級の地震や津波が来るか分からない。そして今、小学生以下の子供は、震災の恐ろしさをきちんと理解できていない。そんな中で私たちができることは、震災の恐ろしさと取るべき行動を発信し続けていくことしか無いと思う。これから大きくなる子供達に、何度でもしつこい位に伝え続けていき、震災の記憶を忘れないようにすることで、いざ起こってしまった時に冷静に対処できるようになれば少しでも犠牲を減らすことができると思うので、ネットや講演会などで地道にやっていくことが大切だと思う。自分のできる範囲だけでも当時のことを伝えていきたい。

選んだ小論文

(震災当時、中学1年)『3.11から三年目の今、私ができること』

たくさんの人の命を奪った東日本大震災から速くも3年が過ぎ、被災した人や場所も少しずつ落ち着いてきたように感じられます。しかし、震災の爪痕が未だ残っている所もたくさんあるし、仮設住宅での暮らしを余儀なくされている人もたくさんいます。安定した仕事に就けていない人もいます。このように、まだまだ復興したとは言えない部分もたくさんある中で、今、私達がやるべきことは、あの震災をもう一度思い出し、向き合い、考えることだと思います。  

私達は、この震災のことを語り継いでいかなければいけません。そのために、もう一度思い出す必要があると思います。3年という間で、私達は様々なことを忘れてしまったと思います。逆に、3年の間、震災のことがトラウマになり、頭から離れずにいた人もいると思います。津波で死にかけた人や、家族を失った人、家が被災した人たちは、あの日のことを思い出したくないと思っているかも知れません。でも、向き合わなければ何も変わりません。前にも進めません。きっと、その人の中の時間は止まったままになってしまうと思います。もちろん、辛いことを思い出すのは簡単ではないし、苦しいと思います。ゆっくりでもいいので、きちんと向き合う努力をしてみると、きっと何かが変わるはずです。

震災のことを忘れている人は思い出すために、トラウマになっている人は前に進むために、もう一度思い出し、向き合い、考えてみることが大切だと思います。

  

(2)①(令和4年度宮古北高校3年 Mさん)(震災当時、保育園年長)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」

東日本大震災で被害に遭った方々をこれからも忘れず、津波の怖さを知らない世代にも伝え続けたいという強い想いで書いたのと、大切な家族に届いて欲しい、今でも忘れない、という想い。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」

「たとえ亡くなっていたとしても、私の思い出の中で生きていてほしいと思うのです。」のところで、亡くなられた方の苦しみを無駄にしないで、二度と同じような事が起こらないようにという想いに共感できた。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」

東日本大震災から11年が過ぎた今、私達にできる事は後世に伝えていくことだと思う。津波を経験していない世代にとって、地震や津波の怖さは私達よりも薄れているような気がする。なので、高校生である私達が伝えられる事を行動にしていかなければならない。もし、東日本大震災のような大きな地震や津波が起きたらどうすれば良いかなど、分かりやすく伝えていく必要がある。それは、東日本大震災を経験した私達が忘れてはいけない大事なことだ。二度と同じような事が起きないように、日頃から考える力、行動する力を高めていかなければならない。これからもみんなで元気に平和で暮らせるように、自分の命、みんなの命を大切にしていく。

  

  ②(令和4年度宮古北高校3年 Eさん)(震災当時、保育園年長)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」

筆者は、震災で亡くなった人を思い出し、震災を風化させたくないということと、自分ができる事を活かして、田老の魅力をたくさんの人に伝えたいという想いでこの文章を書いたと思う。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」

「田老を語る会」など、私が中学校で行っていた活動が共通していたこともありますが、亡くなった人の事を忘れずに思い出すことは大切であると共感しました。自分も実践していきたいです。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」

この小論文を読み、私ができると感じたことは、まず震災を忘れないことです。「田老を語る会」など震災を風化させない活動も大事ですが、毎年黙祷を欠かさず行うなど小さなことからやっていくことが大切だと感じました。

次に、田老のために貢献することです。筆者は絵を描いて田老の魅力を伝える事で貢献したいとありますが、私は田老の名所などの魅力を発信できるよう、田老のことを深く知り、より好きになれるようにしたいです。震災から10年以上が経過し、津波の事を知らない子供たちが増えていくので、風化させないように努力していきたいです。

選んだ小論文

(震災当時、小学1年) 『東日本大震災から十年目の今、私ができること』

東日本大震災から10年が経とうとしています。私は小学生の時、未来の田老を題材にした劇をしました。中学生の時は、「田老を語る会」をしました。「田老を語る会」では、被害状況や当時の様子・教訓などを、津波を経験したことのない人に伝えました。私ができることは、考えて、伝えていくことです。「田老を語る会」は、現在の中学生も行っています。私はそれをこれからも続けていってほしいと思います。

私は震災で家族を2人亡くしました。当時まだ小学校1年生だった私は、そのことがよく理解できずにいました。ずっと2人の帰りを待っていました。そのことを思い出して泣くことが時々あります。亡くなった人のことを思い出すことも私にできることの1つです。たとえ亡くなっていたとしても、私の思い出の中で生きていてほしいと思うのです。 私は絵を描くことが好きです。昔から絵で好きなものを表現することが好きでした。私はいつか、もっと絵を描く技術を上げて綺麗な田老の海を描きたいと思っています。現在の田老はお店は建ってきましたが、まだ人が少ないと思います。田老の魅力を知り、それをたくさんの人に広めてほしいと思います。私も自分の絵で田老の魅力を伝えられるように、田老の事をより好きになりたいです

  

継続の段階

  

● 課題に感じたこと

上記『実施した内容』について、対象者である宮古北高の生徒達は、震災当時保育園年長・年中であったので、幼いながらも震災の記憶や、その後の復旧・復興時の体験や小中学校での学びがあったと思われる。そのため、地元の身近な先輩達の想いや考えに共感する点が非常に多かったと考えられる。それは、被災地の子供達の想いや考えを、被災地の次世代の子供達につないでいくという面で非常に効果的であるが、反面、他の地域の子供達に伝わるかどうか一抹の不安を感じている。

しかしながら、中学・高校という多感な時期の子供達はもちろん、多くの人が共感力や想像力を持っていることも疑いのないことなので、この教材が防災・減災教育や復興教育に役立つことを信じたい。

● これからの期待や展望

教材化した資料を各地の中学・高校の「総合的な学習(探究)の時間」やNPOのワークショップ等でより多くの人に活用してもらうことにより、南海トラフ大地震をはじめとする自然災害が想定されている地域だけではなく、想定されていない地域も含めたさまざまな地域における防災・減災教育や復興教育等に寄与していきたいと考えている。 

 

【会員レポート】 東日本大震災を体験した子供達の想い・考えを、次世代に伝える教材の実施例

【会員レポート】では、本協会会員の皆さまから寄せられた防災教育実践報告などをご紹介しています。掲載をご希望の方は、事務局まで情報をお寄せください。また、レポートを掲載された方へのご相談や講師派遣依頼につきましても、事務局までお気軽にお問い合わせください。

  


  

情報提供者:小笠原 潤(岩手県立宮古北高等学校) 様/個人正会員
活動実施日:令和3年12月~令和4年1月
情報提供日:2022年1月21日

連絡先:TEL. 0193-87-3513

 

準備の段階

  

● 実践・実施のきっかけや経緯

東日本大震災発生当時、まだ小さかったり生まれていなかった子供達が高校へ入学してくるようになる事が予想され、地域に根ざした防災・減災についてどのようにして伝え、考えてもらうかを工夫していく必要を感じていた。一つの方法として、インド洋大津波と東日本大震災に関連する162編の小論文を教材とすることで、その想いや考えを現在や未来の高校生に引き継ぎ、新たな行動へ繋げていきたいと考えている。

● 計画や準備で気をつけたこと

元になる資料(2021年11月22日付けの【会員レポート】参照)は、岩手県沿岸の被災地にある5つの高校(宮古、山田、久慈東、岩泉、宮古北)において、震災当時高校2年生だった生徒から保育園年長だった幼児まで(12学年分)の震災を体験した高校生が、震災時や震災復旧・復興時にどのように想い・考えたかを600字の小論文で記載したもので、全162編ある。それらを6つのテーマ別に30~36編にまとめることで、被災地の子供達の想いや考えを次世代や体験していない人達に分かりやすく継続して伝えていけるように教材化した。

 

実践の段階

  

● 実施した内容

今回6つのテーマのうちの『セレクト4(人間と自然との共生)改訂版』について、宮古北高校の全校生徒に対し、「理科の冬休み課題」として実施した。(教材資料、および実施結果をまとめたものを添付)

● 実践中や、実施後の参加者の反応

東日本大震災に対して、自分達と同年代の頃の先輩達が、大人とは違う視点から感じた想いや考えを知ることで、自らの体験や学んだ知識と合わせ、自らの想いや考えを発展させることができたと思われる。

▼ 実践結果の一例

令和3年度 理科の冬休み課題(小論文)

今回、1~3年生理科の冬休み課題として小論文を提出してもらいました。内容は、東日本大震災が発生した2011年から現在(2021年)まで、被災地域にある4つの高校(宮古高校、山田高校、岩泉高校、宮古北高校)において生徒の皆さんに書いてもらった『人間と自然との共生』に関する小論文の一部をまとめたもの(30編)の中から1つを選び、以下のA~Cについて書いてもらいました。

:あなたの選んだ小論文の筆者は、どういう想いでこの文章を書いたと思いますか? あなたの考えを80字以上~100字以内で述べなさい。

あなたが共感したのはどういう所ですか? 80字以上~100字以内で述べなさい。

:あなたが選んだ小論文を読み、これからあなたができることを、260字以上~300字以内で述べなさい。

提出してもらった中から、「そんな想いもあるんだ」や「そういう視点もあるんだ」という内容の代表的な小論文を、皆さんにもお知らせしたいと思います。

 

(1)(令和3年度宮古北高校1年 Sさん)(震災当時、年中)

A:「筆者は、どういう想いでこの文章を書いたのか?」

自分が津波で経験したことを生かして、もしまた同じようなことがあっても、その時にどうすればもっと良く・早く逃げることができるか、そしてもっと人が助かるようにできるかを考えている。

B:「あなたが共感したのはどういう所ですか?」

共感した所は、誰もが行ける高台の見晴らしの良い所に公園や広場を造るという所です。誰もが簡単に行ける場所ができれば、災害が起こった時に、小さい子やお年寄りでも安全に早く避難できるから、とても良いと思いました。

C:「選んだ小論文を読み、これからあなたができることは?」

これから自分にできることは、また災害が起きた時のことを予測して準備しておくことだと思います。事前に、逃げる時に持つ荷物の準備や避難経路を確認しておけば、逃げなければいけない時にすぐに逃げることができ、命を守ることができると思います。

この小論文を読んでみて、山田に住んでいるからすごく分かった所があったし、著者は、山を崩した後のことまで考えているのが、すごいと思いました。

   

選んだ小論文

(震災当時、小4) 『身近な自然環境を活用した防災・減災』

私は自然環境を活用するということで、山田の地形を活かした建物を造り、避難できる場所の整備が必要だと考えます。まず、山田は平地が少なく、山が多いです。その特徴を活かしてより高台への住宅再建が可能です。その為には山を切り崩さなければなりません。山が減れば反対する人達がいるかもしれませんが、その山を崩して出た土を海側の誰も住まない所に持ってきて、新たな苗や木を植えればいいと考えます。また、誰もが行ける高台の見晴らしの良い所に公園や広場を造ることができればいいと思います。私が実際に小4の時に経験した津波では、高台に上がる所が無く、ただの山の中を1~6年生まで泥まみれになりながらも駆け上がったのを覚えています。その時、後方から波がすぐ近くまで来ていて、電柱や家も自分達の方へ勢いよく流れてきました。そんなことがないように、誰でもすぐ上がれる広場があるといいです。また、小学校から家へ帰る時に松林を通って帰っていましたが、海沿いにすぐ松林があったおかげで助かった家も船越地区では多いと思います。

なので、山を崩した後の土や木は、海側に持ってきて盛り土をし、さらに松林のような自然環境を造ることが必要だと思います。防潮堤だけでは守り切れないところを林が守り、さらに家が高台にあることで、少しでも被害者や被災する建物などを減らすことができると思います。

  

継続の段階

  

● 課題に感じたこと

上記『実施した内容』について、対象者である宮古北高の生徒達は、震災当時小学校1年生から保育園年中であったので、幼いながらも震災の記憶や、その後の復旧・復興時の体験や小中学校での学びがあったと思われる。そのため、地元の身近な先輩達の想いや考えに共感する点が非常に多かったと考えられる。それは、被災地の子供達の想いや考えを、被災地の次世代の子供達につないでいくという面で非常に効果的であるが、反面、他の地域の子供達に伝わるかどうか一抹の不安を感じている。

しかしながら、中学・高校という多感な時期の子供達はもちろん、多くの人が共感力や想像力を持っていることも疑いのないことなので、この教材が防災・減災教育や復興教育に役立つことを信じたい。

● これからの期待や展望

教材化した資料を各地の中学・高校の「総合的な学習(探究)の時間」やNPOのワークショップ等でより多くの人に活用してもらうことにより、南海トラフ大地震をはじめとする自然災害が想定されている地域だけではなく、想定されていない地域も含めたさまざまな地域における防災・減災教育や復興教育等に寄与していきたいと考えている。